※2018年に書きました。 本文の引用は全て岩波文庫版『人間失格 グッド・バイ 他一篇』(1988年)によります。傍点による強調は、下線に置き換えました。
概要
『人間失格』を読解し、この作品を読む体験の意義を明かす。読解は、作品中作品である手記の著者、大庭葉蔵の人物像と意図を考察することを中心に行う。その際、葉蔵の生まれ持った「本能」と、それが抑圧され、再び解放されて手記を書くに至るまでの過程を叙述することを中心として論じる。また、手記の全体的な主題が、自ら体験した「暗い過去の演出」と、その体験の中で生じた様々な意見・主張を追憶しつつ、同時にそれを自ら揺らがせる「倫理」であることを論じる。そしてそれらの主題を持つ手記が、その中で語られたかつての「道化」と「自画像」の記憶を、全く異なる意味での「道化」・「自画像」として、手記執筆時点での葉蔵が構成し直し、一つの作品として創造したものであることを論じる。
いまは自分には、幸福も不幸もありません。
ただ、一さいは過ぎて行きます。
自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来たいわゆる「人間」の世界において、たった一つ、真理らしく思われたのは、それだけでした。
ただ、一さいは過ぎて行きます。
『人間失格』の主人公にして手記の著者、大庭葉蔵は人間の世界をさまよった末に、この心境にたどり着く。この心境こそ葉蔵のそれまでの人生の総括であり、葉蔵という人格の最終地点であった。『人間失格』の中心である手記は、ここに至るまでの道筋を葉蔵自身が著したものである。
この結末からどのような印象を受けるかは、読者の受け入れ方次第であろう。その方法は二通り存在する。
一つは、『人間失格』内に登場する手記外の二人の人物、京橋のスタンド・バアのマダムと、小説家「私」とに同化して読む方法である。バアのマダムは手記を読んだあとこう嘆く。「いいえ、泣くというより……だめね、人間も、ああなっては、もう駄目ね」。またマダムから手記を受け取った「私」は、手記自体は「昔の話ではあったが、現代の人たちが読んでも、かなりの興味を持つに違いない」と評価しつつも、葉蔵のことは「狂人」と呼び、「もし、これが全部事実だったら、そうして僕がこの人の友人だったら、やっぱり脳病院に連れて行きたくなったかも知れない」と述べる。この二人は葉蔵の人生をあくまで外から、自分の人生から見て評価する。このとき葉蔵はただのどうしようもないやつ、傍迷惑な狂人であり、それ以上のものではない。結末は単に破滅である。
しかし、葉蔵自身の視点に回ってみて、手記の言葉をそのまま素直に受け入れるのなら、そこでまさに「幸福も不幸も」ない、悦ばしくはないが、さりとて決して「駄目」ではない、ある独特の感覚を共有できるだろう。これが第二の方法である。得られるものは虚無である。ただ一切が過ぎて行く所。ただ生きるだけであり、喜びも悩みもしない所。それゆえ、おそらくある種の安堵が存在する場所。このニヒリスティックな安堵にたどり着くことこそが、おそらく『人間失格』の大きな魅力なのである。虚無感というのはそのまま暗さや絶望を表すものではない。暗さすらも放擲して何でもないものにしてしまう感覚なのである。
「これは、お前、カルモチンじゃない。ヘノモチン、という」
と言いかけて、うふふふと笑ってしまいました。「癈人」は、どうやらこれは、喜劇名詞のようです。
「癈人」と言えば、普通は悲劇である。外から見るとそうである。しかし、実際なってみると喜劇なのだという。葉蔵は笑っている。幸福はなくとも笑いはある。手記の終わり際の記述を見れば、「癈人」生活が実に淡々と描写されていることが分かるだろう。
それから三年と少し経ち、自分はその間にそのテツという老女中に数度へんな犯され方をして、時たま夫婦喧嘩みたいな事をはじめ、胸の病気のほうは一進一退、痩せたり太ったり、血痰が出たり、・・・
ここにたどり着くまでの「地獄」に比して、もはや悲壮感も不満も感じ取れず、淀んだ気配がない。からりとした、むしろ楽しげにすら聞こえる言い回しである。「苦悩する能力をすら失」った末の気楽さ、この気楽さを持って手記を著したのだとすれば、葉蔵のたどり着いた場所は決して絶望的な行き詰まりではなかったのである。
そんな心境から書かれた手記には、どのような執筆動機があったのだろうか。中畑邦夫は「どうか、わたしの言葉が、書き留められるように…―太宰治『人間失格』について―」(1)の中で、葉蔵は社会から迫害された、逆説的な被害者であると規定している。中畑が指摘するのは、社会のルールというものは人々がまともな「こちら側」とまともでない「あちら側」を区別することによって成立するということ、さらにそのように人為的に策定されたに過ぎないはずのルールが絶対視され、それを根拠にして、「こちら側」の人間が「あちら側」の人間を全人格的に否定してしまう構造があるということである。デリダによれば、区別がルールの根拠となりルールが区別の根拠となるこのような循環は、人間の「形而上学的欲望」によるフィクションに過ぎない。なのに、
このような(偽りの)合理化によって、人は単に区別することを超えて、人格や人間性といったことに関連させて差別することすら可能になってしまうのである。そうなればもう、差別される側は「被害者」であり、差別する側は「加害者」であるとしても過言ではないであろうし、そこに暴力が働いているとしても過言ではないであろう。
そこから、中畑は「『人間失格』をひとりの被害者による『証言』あるいは『告発』として読む」。
葉蔵の手記は、完全な敗者とされたもの、完全に世間の「あちら側」に追いやられてしまってはじめて、「手記」というかたちにおいてゲームやルールについて、そして「加害者」たちについて、「証言」し「告発」したのである。
ルールがフィクションであるという主張には私も賛同するし、それについては後に言及するが、手記が「告発」であるという点には反対する。手記が「告発」であるとすれば、葉蔵を動かして手記を書かせたものとは、社会に対する恨みの感情ということになってしまうが、そうではないと思うからである。たしかに、ある種の恨みはあっただろう。社会から理解不能なものとして追放された自分の方こそ、実はお前たちを理解不能だと思っていたのだと。しかしそれだけではない。手記を書いているとき、すでに葉蔵は苦悩していないのだ。すでに苦悩から抜け出した者が、いまさら陰湿に告発するためにこんなものを書くだろうか。しかもこの手記は、葉蔵を全く批判せずいつも受け入れてくれていた、いわば味方であるマダムに対して贈られたのだ。恨みをぶつけるつもりならもっと適切な相手がいただろう。先に述べたある種の気楽さのなかで書かれた手記は、まだ苦悩する能力を持っていたころの記憶、恨みの残滓を含みつつも、それを使って世間を告発することとはどこか違った目的のために書かれたものであるように思われる。
では、葉蔵はなぜ、何のためにこの手記を書いたのか。結論から言えば、私は葉蔵が幼少期から、ほとんど本能として持っていたある感覚が手記を書かせたのだと考える。その感覚とは、「世の中は、無意味だが楽しい遊戯に満ちた明るい場所であるべきだ」というものである。
葉蔵は、他の人間の生活と自分の感覚との齟齬を、手記の冒頭で具体的に語っている。
自分は停車場のブリッジを、上って、降りて、そうしてそれが線路をまたぎ越えるために造られたものだという事には全然気づかず、ただそれは停車場の構内を外国の遊戯場みたいに、複雑に楽しく、ハイカラにするためにのみ、設備せられてあるものだとばかり思っていました。しかも、かなり永い間そう思っていたのです。ブリッジの上ったり降りたりは、自分にはむしろ、随分垢抜けのした遊戯で、それは鉄道のサーヴィスの中でも、最も気のきいたサーヴィスの一つだと思っていたのですが、のちにそれはただ旅客が線路をまたぎ越えるための頗る実利的な階段に過ぎないのを発見して、にわかに興が覚めました。
また、自分は子供の頃、絵本で地下鉄道というものを見て、これもやはり、実利的な必要から案出せられたものではなく、地上の車に乗るよりは、地下の車に乗ったほうが風がわりで面白い遊びだから、とばかり思っていました。
「遊戯」への意識の高さ、逆に「実利」への無関心、無感動は執拗に描写されている。この感覚こそ葉蔵の原点である。世の中は感覚的に楽しく、美しく洗練された遊戯に満たされ、その中で人は明るく生きているはずだし、そのように有りたいとみんな思っているはずだ、という思い込みである。だが実際には人は生活のために食べねばならず、食べるために働かなければならない。実利こそ第一に求められるものであり、遊戯とは贅沢で、二次的なものである。ところが葉蔵は、実利を求める人々の根底にあるはずの空腹感、生命維持へと駆り立てる深刻な感覚を持っていなかった。
また、自分は、空腹という事を知りませんでした。いや、それは、自分が衣食住に困らない家に育ったという意味ではなく、そんな馬鹿な意味ではなく、自分には「空腹」という感覚はどんなものだか、さっぱりわからなかったのです。・・・空腹感から、ものを食べた記憶は、ほとんどありません。めずらしいと思われたものを食べます。豪華と思われたものを食べます。
食事にすらめずらしさを求める葉蔵において、生命維持と贅沢との順位は逆転している。というより、葉蔵にとってはそれが贅沢であるということがわからなかった。そもそもそれがなぜ贅沢なのかが、感覚的に理解できなかったのである。そんな葉蔵だったから、「最も苦痛な時刻は、実に、自分の家の食事の時間でした」というのも無理はない。
人間は、どうして一日に三度々々ごはんを食べるのだろう。実にみな厳粛な顔をして食べている、これも一種の儀式のようなもので、家族が日に三度々々、時刻をきめて薄暗い一部屋に集り、お膳を順序正しく並べ、食べたくなくても無言でごはんを噛みながら、うつむき、家中にうごめいている霊たちに祈るためのものかも知れない、とさえ考えた事があるくらいでした。
明るく楽しい遊戯と、食事の時間の厳粛さとは天と地のごとく対蹠的である。葉蔵はここで疎外感を感じている。「人間は、めしを食べなければ死ぬから、そのために働いて、めしを食べなければならぬ、という言葉ほど自分にとって難解で晦渋で、そうして脅迫めいた響きを感じさせる言葉は、無かったのです」。しかし葉蔵の家のルールとしては、「こちら側」は生きるための食事、その厳粛さであり、葉蔵の求める明るさと気楽さは「あちら側」であった。そのことを葉蔵はわかっていながら、あえてその規範に穴を開けようとするのである。その手段こそ、「道化」であった。
それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。自分は、人間を極度に恐れていながら、それでいて、人間を、どうしても思い切れなかったらしいのです。そうして自分は、この道化の一線でわずかに人間につながる事が出来たのでした。おもてでは、絶えず笑顔をつくりながらも、内心は必死の、それこそ千番に一番の兼ね合いとでもいうべき危機一髪の、油汗流してのサーヴィスでした。
道化の目的は、家の厳粛さに穴を開けることである。葉蔵は自分自身が「風がわりで面白い」、楽しい人物を演じることによって、明るく楽しい雰囲気を家の中にもたらそうとしたのである。それは、葉蔵にとっての「こちら側」に、家の人々を呼び込もうとする試みだった。「人間を、どうしても思い切れなかった」とはそのことを意味する。
道化はたしかに効果を上げていた。夏にセーターを着て歩いた時など、「めったに笑わない長兄も、それを見て噴き出し、『それあ、葉ちゃん、似合わない』と、可愛くてたまらないような口調で言」うほどのものであった。
しかしその場その場で人を笑わせることはできても、家全体の基本的な雰囲気を変えることはできなかった。その基本的雰囲気、空気の根源は、父である。当時の家父長制度は戸主である男が家族構成員に対し専制的な権力を保有するものであり、父は家の支配者にして厳粛さの象徴であった。のちに父が亡くなったとき、葉蔵はこう述べている。
父が、もういない、自分の胸中から一刻も離れなかったあの懐かしくおそろしい存在が、もういない、自分の苦悩の壺がやけに重かったのも、あの父のせいだったのではなかろうかとさえ思われました。まるで、張り合いが抜けました。苦悩する能力をさえ失いました。
マダムもまた手記を読んだあと、「あのひとのお父さんが悪いのですよ」と、葉蔵の苦悩の責任を全面的に父に負わせるような発言をしている。葉蔵にとって、父は自分の力では変えられない絶対的な人生の厳粛さの体現として、圧倒的権力として心の奥深いところに根付いていたのである。葉蔵がどんなにおどけても、父がいる限り、家の空気は変わらない。食事のときには当然父は上座に就き、葉蔵は末席に就く。家長は怒りを自由に発動させる権利を持つ。権力者は怒りを駆使して規範を作る。
自分は、肉親たちに何か言われて、口応えした事はいちども有りませんでした。そのわずかなおこごとは、自分には霹靂の如く強く感ぜられ、狂うみたいになり、口応えどころか、そのおこごとこそ、謂わば万世一系の人間の「真理」とかいうものに違いない、自分にはその真理を行う力が無いのだから、もはや人間と一緒に住めないのではないかしら、と思い込んでしまうのでした。
葉蔵が最初に触れた「真理」がこれであった。間違いなくこの怒りの代表は父であろう。「真理」とは権力である。力のある者がルールを作る。「真理を行う力が無い」のは権力がないことである。葉蔵は怒りに訴えてそれに抵抗できない。そんなことをすれば、「父の復讐は、きっと、おそるべきものに違いない」。そこで道化が、怒りに代わる手段となる。だが周囲を明るくしようとしていくらおどけても、それは却って自分の感覚の異端を際立たせるだけである。権力差は変わらず、ルールは動かない。そこで、葉蔵に無力感が植え付けられる。葉蔵の人生を最初に方向付けたものは、父に対して規範を巡る闘争を仕掛けた末の敗北だったのである。
こうして葉蔵は、父を圧倒的な権威、正義として感じていた。そしてその父が死んだことを知ったとき、「張り合いが抜け」、「苦悩する能力をさえ失」ったという。それはどういうことか。葉蔵は父の死を、象徴的に受け取ったのである。それは幼少期に葉蔵を抑圧し、自分が異端であり、悪であると規定させた「正しさ」、「善悪」の崩壊として感じられたのである。
規範とは言葉である。先に中畑邦夫から引用した「あちら側」と「こちら側」の区別とは、すなわち善悪の区別とは、言葉によるものにほかならない。行為や状況がある記述の元で捉えられ、それが意味的に「善・適切・立派な」「悪・不適切・恥ずべき」などと結びつけられることで、規範が成立するのである。中畑も主張しているように、それはただの解釈であり、本質ではなく、究極的には根拠のないものである。ここで、重要なのは「考えられたことは、所詮考えられたことに過ぎない」ということである。善悪とは、ひとつの勘違いだったのである。
松本和也は、「言語表現としての『人間失格』―構造・予言・主題」(2)において次のように主張している。
手記内で本人自ら振り返って書いた大庭葉蔵の生の軌跡は、“人間とは何か”という問が成立しない地点―そもそも「人間」という言葉の意味を探しあぐねる地点からの、「人間」を自明視する「世間」との勝ち目のない闘いなのではなかっただろうか。そのことは、「対義語(アントニム)の当てっこ」で象徴的に示されている。
・・・
「それじゃあ、なんだい、神か? お前には、どこかヤソ坊主くさいところがあるからな。いや味だぜ」
「まあそんなに、軽く片づけるなよ。も少し、二人で考えて見よう。これはでも、面白いテーマじゃないか。このテーマに対する答一つで、そのひとの全部がわかるような気がするのだ」
「まさか。……罪のアントは、善さ。善良なる市民。つまり、おれみたいなものさ」
「冗談は、よそうよ。しかし、善は悪のアントだ。罪のアントではない」
「悪と罪とは違うのかい?」
「違う、と思う。善悪の概念は人間が作ったものだ。人間が勝手に作った道徳の言葉だ」
ここで、善/悪/罪といった概念の内容それ自体が問題なのではない。罪のアントによって「その人の全部がわかる気がする」とまでいう大庭葉蔵に対して、堀木はその大仰さをかわしながら、「善」と答えてみせる。その解を否定する大庭葉蔵もまた、正解がつかめているわけではないが、それでも「悪」と「罪」を峻別し、それでいてその峻別に確信をもてずにいる。ここに、「人間」をはじめとする言葉を一義的に素朴に信奉する堀木を含めた「世間」(の言語観)と真っ向から対立するように、言葉それ自体に懐疑を抱きつづける大庭葉蔵(の言語観)の終わりなき闘いが照らし出されているのだ。
先に、葉蔵の道化は、父が作り出す規範に対する闘争だったということを述べた。だとすれば、規範とは言葉であるから、葉蔵の人生はまず言葉に対する闘争をもって始まったと言っていいだろう(厳粛な生活の意味連関と、気楽な遊戯の意味連関。例えば「鉄道」において)。東京に出て、父の用意した学校に行かなくなって以来、葉蔵は少しずつ、世間の言葉で言えば「道を踏み外して」いく。世間には通るべきとされる道があり、これがすなわち規範というわけである。葉蔵は、情死に失敗し、幾人かの女の元を転々とする生活において、一般に「よくない」とされる生き方で進んでいき、これを堀木は「恥知らず」と見下す。堀木にとってはそれが「正しい」からである。堀木をはじめとする「世間」の人々は、「情死」や「男めかけ」が「悪」や「恥」と結びつく、その意味的結合(すなわち言葉の用法)が、全く自明のことであると理解している。「自分は昔から、人間の資格の無いみたいな子供だったのだ」と語る葉蔵も、これを半ば理解している。「人間」の条件がルールに従って共同生活を営むことであるとすれば、ルールを守れない(「善」の側に立てない)者には、「人間の資格」がないことになる。それでも葉蔵は、何か釈然としないものを感じている。言葉の用法は自明ではないのではないか。「罪」とは「世間」の人々の考えるようなものではないのではないか。父の作り出す規範を揺らそうとした葉蔵の試みは、東京に出たのちも続いていたのである。
しかし父との闘争の敗北、そしてその後の度重なる「恥」の体験も合わさり、この懐疑はもはや、闘争というよりは自分の罪障性の確認として捻じ曲げられてしまっている。言葉への懐疑(言語的体系を揺らがせようとする試み)を根底的なものとして残しつつも、それは自分の世間的敗北者としての異常性を証明する方向で機能しているように思われる。「悪」と「罪」という峻別しがたいもの(「悪であり罪がない」とか「罪があり悪ではない」とか言われても、どういうことかは確かには想像しがたい)をあえて峻別しようとするのは、自分の中だけにある特殊な悪を「罪」と感じていたからではないか。それは個人的な、しかしキリスト教における原罪のような、生まれつきの罪である。ここで葉蔵が罪であると感じているのが己の本能であり、神が父であったとすれば、それは生まれつきのものが神によって否定されたということになる。葉蔵の感覚から言えば、自分の本能は原罪と表現するに足るものだっただろう。一時疑似的な親子関係にあったシゲ子に対して、「親の言いつけに、そむいたから」、自分の祈りは神に通じないだろう、と語っていることもそれを裏付けている。そもそも東京で「道を踏み外した」のも父の勧めた道を外れたことによるのだから、葉蔵は故郷においても東京においても父に敗北しているのだ。そのことが、「人間が作った」悪という概念とは別のものとしての、生まれ持った本質的な「罪」の概念を構成していったのだと思われる。それでも、「その峻別に確信をもてずにいる」ということには、その「罪」すら実は無根拠なのではないか、という予感が、萌芽として含まれてはいる。しかしその直後、ふと頭をよぎった「罪と罰」というタイトルが、葉蔵をまた一つの意味連関すなわち規範・世界観に引きずり込んでしまう。「罪」の対義語として捉えられた「罰」は信念を強化することになり(「罰」を思いついて以来、すべての不幸が「罰」という言葉と、意味的に結び付けられてしまう)、ヨシ子の姦通目撃からモルヒネ中毒を経て、「死にたい、死ななければならぬ、生きているのが罪の種なのだ」と思いつめ、また助けを求めるため父に向けて書いた長い手紙も無視される。完全敗北である。
このように、「神」である父と、世間の「善」に対して自分を「罪悪」として位置付けてきた葉蔵だったが、父の死によってこの構造は崩壊する。「神は死んだ」というわけである。絶対的に正しいものが胃潰瘍で倒れる。そして「罪人」葉蔵は生き残る。兄たちは葉蔵を見捨てることなく、「約束」(これは人間に対する態度である)をして、田舎での療養生活を用意してくれる。葉蔵は、許されてしまったのである。二項対立は幻想であったことが暴かれる。それはそれまで自己を蝕んできた一切の価値、規範、罪悪の絶対否定として、葉蔵に感得されたのである。それは思い込みからの解放であり、内面化された父からの解放であり、内面化した自分からの解放であった。「罪」はただの言葉であった。そういうものが実体をもって存在していたわけではなく、自らが物事に意味を持たせることで、言葉に縛られていただけだったのである。規範とは言葉であり、言葉同士の意味の連関である。それはある状況に意味を与え、何らかの概念に基づいて了解させてくれる。しかしその了解はただの解釈であり、その状況自体にあらかじめ含まれた本質ではない。
言葉の有名無実への意識は、「世間」という言葉への懐疑として準備されてはいた。
世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。けれども、何しろ、強く、きびしく、こわいもの、とばかり思ってこれまで生きて来たのですが、しかし、堀木にそう言われて、ふと、
「世間というのは、君じゃないか」
という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤで、ひっこめました。
(それは世間が、ゆるさない)
(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)
(世間じゃない。あなたでしょう?)
(いまに世間から葬られる)
(世間じゃない。葬むるのは、あなたでしょう?)
「(世間とは個人じゃないか)という、思想めいたもの」を持って、葉蔵は「世間」を「個人」の中に解体する。「世間」とはただの言葉であり、実体はなく、「その存在を完全に黙殺さえすれば、それは自分とみじんのつながりも無くなってたちまち消え失せる『科学の幽霊』に過ぎないのだという事」を学んだのである。しかしこの認識を持ってなお、いわゆる「世間」を作り出している個人の言葉には、自己評価を左右するような重みが感じられている。ギイ・シャルル・クロオの詩から「蟾蜍」という言葉を拾ったとき、葉蔵は「ひとりで顔を燃えるくらいに赤く」する。また葉蔵を「色魔」と呼び、ことあるごとに見下して評価する堀木の言葉は真剣に受け止められ、前に引用した対義語の当てっこにおいては、言葉の用法を異にする個人として対話の相手となっているのである。結局、「世間とは個人である」という思想もまた、言葉である以上は葉蔵という個人の思想として、他人とぶつかり合う運命にあり、撃墜されることになるのである。言葉によって浮き上がっても、また別の言葉によって叩き落される。「個人と個人の争いで、しかも、その場の争いで、しかも、その場で勝てばいいのだ」という理解のもと、葉蔵は真理を賭けての戦場にいたのである。言葉による真理を得ようとするなら、怒りがその手段になるということを葉蔵は幼いころから知っていた。堀木との対話において出た「ほとんど生れてはじめてと言っていいくらいの、烈しい怒りの声」は、真理に向けられた声だったのである。かつての葉蔵には怒りの能力はなく、代わりに道化が自分の側に人を呼び寄せる手段となっていたことを前に書いたが、情死以後は道化より、言葉による真理探究が重要なテーマとなっている。それは自分の行動への「世間」の目に対して、何とか弁明を行う必要が生じたからである。
「君には、罪というものが、まるで興味ないらしいね」
「そりゃそうさ、お前のように、罪人では無いんだから。おれは道楽はしても、女を死なせたり、女から金を巻き上げたりなんかはしねえよ」
死なせたのではない、巻き上げたのではない、と心の何処かで幽かな、けれども必死の抗議の声が起っても、しかし、また、いや自分が悪いのだとすぐに思いかえしてしまうこの習癖。
「世間」を個人に解体したことによって、弁明の相手は個人になる。しかし対話の相手である個人、堀木は、「罪」の対義語を「法律」に置き、つまり個人を超えた大きな正しさを持ち込むことによって葉蔵を抑え込んでくる。対話になると葉蔵は負ける。
父の死によって体得された言葉の崩壊は、こうした言葉による言葉との闘いとは根本的に異なる一つの体験である。自分の言葉を他人の言葉と戦わせるのではない。個人の言葉ですら、すなわち自分の言葉でも、誰かの言葉でも、それらがそもそも当てにならないのだ、ということが実感としてわかったのである。父は葉蔵の本能を否定する最初の言葉、最初の善悪であった。葉蔵は本能から、道化による闘争を行った。それが原初的な世界であり、場であった。父あってこその道化だった。ゆえに父が死に、その場が崩壊したとき、闘争としての道化も、規範に対抗しようとしていた自分の言葉すら、土台ごと崩壊する。理解されたのは、言葉はある意味をもたらすのみであり、その意味が究極的にどこまでも「正しい」かどうかというのは、何をどうしても確かめようがない、ということであった。
どんなに自明に思える単純な命題でも、それを組み合わせて作り上げた複雑な証明でも、言葉によって考えられたことが、勘違いではないことは証明できない。ある思考、言明、命題が勘違いではないことが証明できたとしても、その証明がまた言葉によってできている以上、今度はその証明のほうが、勘違いかもしれない。証明するには論理が必要だが、論理的正しさというのが、すでに勘違いかもしれない。私がどんな言葉を口にしても、それは「私がそう思った」というだけである。その他すべての人間と意見が一致したとしても、それは「私たちがそう思った」だけである。そして、「思った」からといって、即座に「そうだ」、ということにはならない。言葉は世界に意味を与え、構造化するが、その意味が「正しい」かどうかというのは、「正しさ」というのも言葉である以上、どこまでもわからない。何かを真理として主張するということは、究極的にはそれを信じるということである。真理の問題とは煎じ詰めるに、信仰の問題である。考えられたことは、所詮考えられたことに過ぎない。
「生活の厳粛さ」も、「遊戯の気楽さ」も、人生のあるべき姿として、正しくなどないのである。「べき」というのが言語的妄想であった。これにて闘争は終結した。葉蔵はもはや「正しい言葉遣い」を探る必要がないし、誇ることも打ちひしがれることもない。言葉によってとどめられない物事は、価値を失ったまま流れていく。何も引っかかるところがない。だから、「ただ、一さいは過ぎて行」くのである。
にもかかわらず、いや、だからこそ、葉蔵の本能はいまや浄化され、復活するのである。やはり世の中は、無意味だが楽しい遊戯に満ちた明るい場所であるべきである。しかしそれは言語的に、闘争的に主張されるのではない。「気楽さ」が、今度は言語を超えたものとして求められるのである。というより、「気楽さ」は言語から解放されてこそあるものであった。言語によって遊戯を主張するのではなく、遊戯として、言語が使われる。たどり着いた境地と本能が融和し、逆説的に言語表現に向かわせる。なぜ言語なのか。それが無意味だからである。言葉を否定しながら言葉で語ることが、彼にとっての遊戯だからである。一度無化されたうえで改めて肯定された本能が葉蔵を動かし、手記を書かせるのである。そしてそこで用いられる言葉は、自身の記憶をたどり再現しつつも、その根幹においては脱価値化されているものである。それは「無意味な遊戯」であり、一つの創造である。自由な本能が、ここで初めて自ら動き出し、自らの世界を創造していく。
言葉を用いて過去を語るとはどういうことか。それは言葉によって過去を創造するということである。というより、過去とは言葉なのである。我々に直接与えられているものは、どこまでも現在である。過去という時間領域は、言語的に想定されたものなのである。実在する過去が、「あった」という言葉でとらえられているのではない。むしろ「あった」「でした」という表現によって過去という価値がその言明に付与され、過去「として」現在の状況から区別されて、理解されるのである。「過去こんなことがあった」というのは、要ずるに「過去こんなことがあったと(現在)思う」ということである。ここでもそれは真理の問題ではなく、信仰の問題である。何しろそれはもはや今ここにはないのだから、言語によって間接的に存在させるしかない。善悪と同じく、有名無実なのである。大森荘蔵が『時間と自我』(3)で言うように、
想起された文章や物語は想起された経験の描写や叙述ではない。その文章や物語、それが想起された当のものなのであって、想起された経験の言語的表現ではないのである。・・・想起される、言語的に想起される、ということによって過去形の経験が成るのであり制作されるのである。
ここまでの認識に葉蔵が達していたかどうかは定かではないが、しかし葉蔵が自分の過去を手記にしようと思い立ったのは何故なのか、ということを考えるに、それは過去というものが、もはや価値の重みを失い、幻のようになっていることをしみじみと感じられたからではないかと考えるのは、行き過ぎた解釈ではないと思われる。悩みを失った状態からかつての自分の悩みを描くということは、その悩みがもはや表面に形を残しているだけの、実質のない抜け殻になっていたからこそ可能だったのではないか。だからこそ、手記を執筆するということは「無意味な遊び」として成立しえたのである。それはまずもって自分のために書かれたものであったに違いない。辻本千鶴は「〈人間失格〉者と『神様』の間―構造から読む『人間失格』」(4)において以下のように述べる。
手記を綴る営為は、過去から現在に続く生の様態を、点検し確認したい欲求に裏打ちされている。誰にも見せないつもりであっても、伝達・公表への潜在的欲求を含み込むものである。端的には、文字にして書き記した時点で、書いている自分が、記述内容の最初の〈読者〉でもある。
点検し確認したい過去とは悩める自分である。それは今の自分が、過去の自分を演じるということである。そういう役柄を創造するということであり、自作自演するということである。演じるのも鑑賞するのも自分、そうしてそれは今となっては価値を失った言葉を用いて演じられる。現在の無意味が、かつての意味を演じている。これもまた、一つの道化なのである。芸術的道化である。
葉蔵の道化とは、「明るい遊戯」の人物として人前に現れることで「暗い厳粛な生活」の規範に穴をあけ、皆を葉蔵にとっての「こちら側」に呼び込むためのものであったと前に述べた。この闘争は、もはや葉蔵が「あちら」からも「こちら」からも解放されている以上、機能しない。それはただ笑いをもたらすサーヴィスとして演じられるだけである。笑いこそ葉蔵が本能から求めたものだったのである。笑いをもたらすための道化、これを今や自分のために演じる。どのようにしてか。葉蔵にとっては、もはや言葉のもたらす意味、悩みの方こそ、笑いをもたらすものなのである。意味から解放されたものが、自らの記述する意味を笑っているのである。だから、葉蔵が手記を「恥の多い生涯を送ってきました」と始め、「人間、失格」と悲愴なポーズを決めて見せても、それが役者本人の心情であると思ってはならない。役が失格しようが合格しようが、それは役者とは関係ないのである。青柳晴香は「太宰治『人間失格』論」(5)において、手記を「ホラー映画」に例えてこう述べている。
鑑賞者はその「計算された世界」によって、リアルな「恐怖」を感じる。だが、わたしたちが製作者の「メイキング映像」を見たら、その「恐怖」は消えるだろう。意外と、そのひとたちは楽しそうに「作品」を作っていることを知り、鑑賞者は「安心」するだろう。
そして手記の作者葉蔵は、
極端な話、「演じ終わった」楽屋で、彼は出されたお菓子を美味しそうに食べている人物なのかもしれないのだ。
この道化の転換を見るに、葉蔵は言葉に振り回され、言葉に使われる側から、言葉を使う側、意味を操る側に転向(成長)したのだと言えるだろう。敗北の哀しい道化は、いまや積極的に言葉をまとい自己を演出する明るい道化に変わる。これが芸術としての道化なのである。これはまた、これまで必死に演じてきた「暗い喜劇役者」に対置される、「明るい悲劇役者」の姿でもある。そして、世間的な言葉を内面化し規範に従って「清くただしく」生きる人間を廃するという点において、まさに「癈人」の姿だったのである。手記末尾、カルモチンとヘノモチンを間違えたテツに対して「こごとを言ってやろうと思」ったとき、葉蔵は思いがけず「うふふふ」と笑ってしまう。「こごと」と言えば、葉蔵が初めに教えられた世の「真理」こそ、父の怒りであった。価値規範から外れたものを正しい道に戻そうとすること、この怒りもまた、もはや「真理」でも何でもなく、ただのお笑い種でしかない。
手記をマダムに送ったのは、ちょっとした悪戯心のようなものだったかもしれない。辻本の言うように、手記が含む「伝達・公表への潜在的欲求」に動かされたのか、あるいは「道化」とは、やはり人に見せてこそ意味があるのだと思ったのか、とにかく制作したものを人に見せたくなったのだろう。「小学校、中学校、と続いて先生たちを狂喜させ」ていた綴り方のように、人に読ませてその世界に引き込むことは一つのサーヴィスである。
ただし今回の道化は、反転した暗い道化であって、またそこで自分の演じた「暗さ」がどう受け止められるか、つまり手記に対して与えられる解釈的評価は、今や単に、葉蔵の言葉に結び付けられる他人の言葉、幻想である。それも含めて読者の反応を想像し、楽しんでいたのではないかと思う。今度のサーヴィスでは、葉蔵もまた裏から楽しんでいる。そこで誰に対して送るのかが問題になるわけだが、選択肢は多くない。堀木、シヅ子、マダム、ヒラメ、ヨシ子くらいである。男は駄目だ。どうせ極端に「世間」的な見方をして、何も感じ入ることなく打ち捨ててしまうに違いない。それではつまらないので、女から選ぶことになるのだが、三人の中で「後腐れなく」別れたのはマダムだけであった。シヅ子は捨ててきたのであって、今更自分の書いたものを届けて平安を乱すのは悪い。ヨシ子は姦通と自殺のことをまだ悔やんでいる可能性がある。単純に良心の問題として、この二人は手記を送るのに適切な相手ではない。善悪を離れても、良心がないわけではないのだ。道化のサーヴィスを送って相手を不幸にさせるのは、葉蔵も本能から、望むところではなかったはずである。そういうわけだから、選択肢としてマダムしか残らなかったのである。実際「義侠心」を持つマダムは、世間的弱者の言葉を切り捨てることはなかった。かくしてマダムは「泣くというより」(ほかの二人だったら泣いていたのではないか?)、「人間も、ああなっては、もう駄目ね」しかしそれは「神様みたいないい子」の哀れな話として、マダムの中に重層的な感慨を抱かせたのであった。
ところでここまでの解釈は、葉蔵が手記内の出来事を概ね「正直に」書いているという前提の下で成立しているものである。私は手記を書いている現在の葉蔵の心境についてここまで語ってきたのであるが、その葉蔵の人物像の根拠、解釈の元になっているのは、手記の内容をおいて他にない。手記の内容が現在の葉蔵の人格の根拠になり、さらにその人格が手記の内容の根拠となるのだとすれば、ここに循環が生じ、私はどこまでも葉蔵の言語表現の中にとどまり、「現実の」葉蔵には永遠にたどり着けない。もし「現実の」葉蔵が手記に純度100%の嘘を多分に盛り込んでいたとしたら、そこから解釈された葉蔵の人物像などというものも、それに惑わされた偽物でしかないだろう。
だが、それでいい。「現実の葉蔵」など存在しないのであるから。私に与えられているのはどこまでも手記であり、『人間失格』というテクストであって、葉蔵の「現実の」人格というものは、手記の内容が正直だろうが嘘だろうが、その真偽問題を解釈することから生じてくるもう一つの解釈に過ぎない。これもまた真理の問題ではなく、信仰の問題である。だから私は、以上述べたような解釈を信じることにする。すなわち、遊戯への本能を持った人物が父を始めとする世間の言語使用との齟齬を経験して悩みぬいた末に、父の死からあらゆる言語使用の有名無実を悟り、抑圧がなくなって復活した本能が過去の記憶をもとに、今や無化された言語を使用してかつての悩みを演じ、笑っている、ということである。
ここまで、葉蔵の人物像を解釈することで手記の持つ遊戯としての意味を説明してきた。ここからは、その結果できあがった手記が読者を惹き込み、巻き込んでいく、その魅力について述べていきたい。
手記の暗さは手記執筆時点での葉蔵の演技であるということを先に述べた。手記の中では葉蔵の歩んできた道の暗さが徹底的に表現される。しかしそれは全体的な雰囲気の話である。部分ごとに見れば、手記の中には多分に「揺らぎ」がある。手記の内実は単なる出来事の記述には留まらない。暗さを揺るがす「笑い」の要素や、「世間」の人間たちへの鋭い批判の言葉、そしてその言葉が「恥の多い生涯」において抱かれた思考であること、すなわち自ら主張しつつ、その主張を自ら打ち消すような自己否定の態度が、手記の中には貫徹される。これについては後述する。そしてその揺らぎが起因するのは、言語的規範を無化した上での葉蔵の「倫理」であったということをこれから主張したい。そのために、まず過去の、つまり手記中の葉蔵が、中学の同級生竹一に触発されて描いた自画像と、現在の葉蔵によって新たに描かれた新しい自画像たる手記の対比を行う。
「お化けの絵だよ」
いつか竹一が、自分の二階へ遊びに来た時、ご持参の、一枚の原色版の口絵を得意そうに自分に見せて、そう説明しました。
おや? と思いました。その瞬間、自分の落ち行く道が決定せられたように、後年に到って、そんな気がしてなりません。
葉蔵は、その絵が「ゴッホの例の自画像に過ぎないのを知って」いたし、「お化けの絵、だとは、いちども考えた事がなかった」という。
「では、こんなのは、どうかしら。やっぱり、お化けかしら」
自分は本棚から、モジリアニの画集を出し、焼けた赤銅のような肌の、れいの裸婦の像を竹一に見せました。
「すげえなあ」
竹一は目を丸くして感嘆しました。
「地獄の馬みたい」
これらは、竹一の解釈である。竹一にはゴッホの自画像が「お化け」に、裸婦が「地獄の馬」に見えたというだけの話であって、その見えは個人の体験に過ぎず、万人に通じる真理ではない。実際葉蔵には、そんな風に見えたことは一度もなかったのだ。しかし葉蔵はこの解釈を即座に受け入れたばかりか、それに合わせた根拠までも自ら用意してしまう。
あまりに人間を恐怖している人たちは、かえって、もっともっと、おそろしい妖怪を確実にこの目で見たいと願望するに到る心理、神経質な、ものにおびえやすい人ほど、暴風雨の更に強からん事を祈る心理、ああ、この一群の画家たちは、人間という化け物に傷めつけられ、脅かされた挙句の果、ついに幻影を信じ、白昼の自然の中に、ありありと妖怪を見たのだ、しかも彼らは、それを道化などでごまかさず、見えたままの表現に努力したのだ、竹一の言うように、敢然と「お化けの絵」をかいてしまったのだ、・・・
これは自画像が「お化けの絵」であるということの根拠である。しかし、やはりこれも解釈である。葉蔵は、竹一の解釈をさらに解釈して、画家たちの心理を勝手に想像した。自らの解釈が根拠となり、竹一の解釈が正当化される、そして解釈は真理として受け取られてしまったのである。
どうしてこんなことになったのか。竹一は、葉蔵にとってどこまでも真理を見抜く者として現れてくる。体操の時間にわざと失敗してみんなを笑わせた後、「白痴に似た生徒」竹一は葉蔵に接触する。
「ワザ。ワザ。」 自分は震撼しました。ワザと失敗したという事を、人もあろうに、竹一に見破られるとは全く思いも掛けない事でした。自分は、世界が一瞬にして地獄の業火に包まれて燃え上るのを眼前に見るような心地がして、わあっ! と叫んで発狂しそうな気配を必死の力で抑えました。
葉蔵の道化は、家の暗い厳粛さに穴を開け、(おどける葉蔵を見るという)明るい遊戯へ人を呼び込むためのものだったことを前に述べた。これは葉蔵の本能から出たものであった。本能からの行動というのは、反省の中で自覚されて行われるのではなく、そうならざるを得ずして、勝手にそうなる類のものである。葉蔵自身、自分が何故こんなに必死で道化を演じているのか、実はよく分かっていなかったのではないか。少年葉蔵は、父が中心となって作り出される頑なな厳粛さによって消耗しつつも、まだ無意識的に、本能的に道化を演じていた。
そこに、竹一の「ワザ。ワザ。」が一撃を加える。ここで葉蔵が受けた衝撃はどのようなものであったかについて、村瀬学はこう解釈する(6)。
大袈裟と言えば、この上ない大げさな表現である。実際の中学生活において、こんな「道化」のひとつやふたつが見破られることなど、ザラにあるはずではなかったか。何も主人公に限った事ではない。それなのに、この「竹一」なる同級生に見破られたという描写は、余りにも大袈裟に書かれているように見える。これはどう考えたらいいのだろうか。
・・・
考えうることは、主人公が何か「本当の自分」を隠していたことが見破られたというのではなくて、むしろどこにも「自分」というものがないのだということ、すべてが演技なのだということを見抜かれたということ、そういう事であったのではあるまいか。つまりそういう演技する自分の《底》にあるものが、《自分》などというものとはとんと縁のない、もっと不気味なものであることを察知されてしまった!と。
この解釈は面白い。
本来、《底》にあったものは本能である。本能というものは、それを自分が意識的に選び取ったわけではないという点において「自分」ではなく、どこか「不気味なもの」である。そしてこの本能は、葉蔵に道化を演じさせ、後には手記を書かせることにもなる、その根底にあったものである。葉蔵は竹一の言葉によって、その根底的なものを取り逃し、誤解する。「本当の自分」は村瀬の言うように、見破られたのではない。しかし《底》は露呈したのではない。むしろ、見失われたのである。本来《底》にあったものが見失われたからこそ、自分がなくなったのである。
どういうことか。二回の「ワザ」は、二重の「ワザ」であった。葉蔵は、体操の時間にした失敗が「ワザ」であったことはもちろん自覚していた。しかしさらに竹一の言葉で、ワザと失敗することを選ばせた本能までも、「ワザ」、すなわち演技、偽物なのではないかと疑念を抱いたのだ。ワザとやるとは、意識してやることである。逆に自分の行為を意識すると、すべてがワザであるかのように思えてくる。失敗したのがワザであり、それをさせた自己の奥にあるものすらワザだとしたら、いったい本当の自分はどんなものなのか。この間違った問(自分探し)に葉蔵は迷い込む。この問いは自己の内面を意識してこそ出るものであり、意識しなければ、かえって答えはいつでもそこにあるのである。「ワザ。ワザ」は、葉蔵に意識的になる呪いをかけた。本能とは意識されないものであり、本能的に動く限りそれは自己理解(意識的な自己記述)からは確証されないものである。だから自分のどこまでがワザなのか、という問いを持ってしまった葉蔵は、自分の本能を見失う。それを掴もうと意識的になればなるほど、本能には逃げられる。そうして、「不気味なもの」よりもさらに輪をかけて不気味な《底》として感じられた、自己喪失という事態に突き当たる。もはや自分は無い。それは解放ではなく、束縛だった。意識的反省によって真の自己が見失われた。真の自己はかえって無意識に発揮されるものであった。
竹一が言葉を発した瞬間に行われたこの喪失は、ほとんど啓示である。葉蔵は言う、
ああ、学校!
自分は、そこでは、尊敬されかけていたのです。尊敬されるという観念もまた、甚だ自分を、おびえさせました。ほとんど完全に近く人をだまして、そうして、或るひとりの全知全能の者に見破られ、木っ葉みじんにやられて、死ぬる以上の赤恥をかかせられる、それが、「尊敬される」という自分の定義でありました。
実際には「全知全能の者」とは似ても似つかぬ竹一によって見破られた(と誤解した)葉蔵であったが、重要なのは誰が言ったかではなく、言葉そのものである。「ワザ。ワザ。」自体が魔力を持ったのだ。それを口にした竹一はその言葉が出てくるための依り代に過ぎない。むしろその奥に、竹一を通路として語り掛けてくる全知全能の者の存在を、葉蔵は感じてしまったのである。
ここで、ではなぜ、葉蔵は竹一の言葉をそのような絶対のものとして受け取ってしまったのか。神の言葉を聞いたという者に、あなたはなぜそれが神の言葉だと思ったのか、と問うても、とにかくそうなのだ、としか答えてくれないだろう。だがその裏には、やはりあの父の存在がある。父によって本能を抑圧され、揺るがされていた葉蔵が自身のアイデンティティへの問いを持つようになることは、必然であったといってもいい。そこに加わった竹一の言葉が、まるで神託のごとく働き、自分の内部へ意識を向かわせたのである。すでに自分の自然な状態が否定されつつあったところに、「ワザ」という言葉がとどめを刺した。自然な本能は「ワザ」により隠蔽された。葉蔵は道化に対し意識的になり、本能は見失われる。そうして竹一は葉蔵の底を見破ったということになり、その言葉には全知の重みが加わってくる。
竹一の発した言葉に、瞬間的に衝撃を覚えた体験から、竹一は真理を知るものとして現れたのである。葉蔵はその後しばらく「自分のお道化は、所謂「ワザ」ではなくて、ほんものであったというよう思い込ませるようにあらゆる努力を払」うのだが、それはかえって「ほんもの」の欠如を強く意識させるだけであった。実は意識していなかった時の道化こそ、「ほんもの」から出た行為だったのだが。
絵のことに話を戻す。だから竹一の解釈「お化けの絵」は、葉蔵には真理として迫ってくるのである。それが竹一の言うことだから、今までとてもお化けには見えていなかったものが、瞬時にお化けに変わってしまう。そしてその真理を基にして、結論ありきでその根拠が解釈される。そうして真理に基づく「お化け式手法」によって完成した自画像は、誤解の極みであった。
自分でも、ぎょっとしたほど、陰惨な絵が出来上りました。しかし、これこそ胸底にひた隠しに隠している自分の正体なのだ、おもては陽気に笑い、また人を笑わせているけれども、実は、こんな陰鬱な心を自分は持っているのだ、仕方が無い、とひそかに肯定し、けれどもその絵は、竹一以外の人には、さすがに誰にも見せませんでした。自分のお道化の底の陰惨を見破られ、急にケチくさく警戒せられるのもいやでしたし、また、これを自分の正体とも気づかず、やっぱり新趣向のお道化と見なされ、大笑いの種にせられるかも知れぬという懸念もあり、それは何よりもつらい事でしたので、その絵はすぐに押入れの奥深くしまい込みました。
自分で自分を解釈し、その解釈を表現にし、さらにその表現を再び内面化するという循環が、ここで行われたことである。解釈は真理になる。今までは単なる結果だったものである陰鬱さが、真の自分すなわちすべての原因ということになる。元来の葉蔵の構造は、中心に遊戯への本能があり、それが父との闘争において道化として現象し、周囲の人間を笑わせて「こちら側」に呼び込もうとするものであった。しかし圧倒的存在である父に敗北することによって、本能は抑圧され、陰鬱さを生じていた。この流れが、無意識的に行われていた。竹一の言葉で中核にある本能が隠蔽されたことで、葉蔵は意識的になってしまった。本能は認識されず、代わりに陰鬱さが自分の本質として誤って据えられた。自分探しの結果として、陰鬱さ、陰惨さは、辛うじて「ワザ」ではないものとして掴まれた誤答であった。暗い心が自分の本質であり、それを隠すために道化を演じている、それが自分のすべてだ、と理解された。葉蔵は「悪い自分」を自ら実体化してしまったのである。
「お化け式手法」、すなわち
自分は、竹一の言葉によって、自分のそれまでの絵画に対する心構えが、まるで間違っていた事に気が附きました。美しいと感じたものを、そのまま美しく表現しようと努力する甘さ、おろかしさ。マイスターたちは、何でもないものを、主観によって美しく創造し、あるいは醜いものに嘔吐をもよおしながらも、それに対する興味を隠さず、表現のよろこびにひたっている、つまり、人の思惑に少しもたよっていないらしいという、画法のプリミチヴな虎の巻を、竹一から、さずけられて、・・・少しずつ、自画像の制作に取りかかってみました。
マイスターたちは、「人の思惑に少しもたよ」らない。葉蔵もそれに倣おうとするのであるが、そもそもこの手法自体が竹一の解釈に便乗したものであり、他人の思惑だったのである。この画法の虎の巻が芸術の表現法として正しいものであったとしても、それは人に教わるものではなかったのである。「白昼の自然の中に、ありありと妖怪を見た」といっても、実際には見たのではなく、見せられたのだ。むしろ「美しいと感じたものを、そのまま美しく表現しようとする」方が本当なのである。かくして葉蔵の認識は転倒し、曇らされた。
完成した自画像を見て、竹一は「お前は偉い絵かきになる」という予言の言葉を発する。これがさらに葉蔵を誤解させた。全く向いてないものに対して才能があると思わせたのである。葉蔵の才能は明らかに言語・文章能力にあったのであり、絵にはなかった。
自分は、小学校の頃から、絵はかくのも、見るのも好きでした。けれども、自分のかいた絵は、自分の綴り方ほどには、周囲の評判が、よくありませんでした。自分は、どだい人間の言葉を一向に信用していませんでしたので、綴り方などは、自分にとって、ただお道化の御挨拶みたいなもので、小学校、中学校、と続いて先生たちを狂喜させて来ましたが、しかし、自分では、さっぱり面白くなく、絵だけは、(漫画などは別ですけれども)その対象の表現に、幼い我流ながら、多少の苦心を払っていました。
一般に、大した努力をせずとも割合に上手くできることを才能(センス)があると言う。人を喜ばせる文章が簡単に書けるというのは大したことなのだが、葉蔵はそれにはこだわらない。かえって向いていない絵に心を惹かれていた。これはなぜだろうか。葉蔵は人間の言葉を全く信用していなかったので、綴り方などさっぱり面白くなく、絵に心惹かれていたと言う。つまり文章は信用できないから、絵のほうが好きだったと言うのである。確かに、言葉は嘘をつくが、絵は嘘をつかない。文章なら、「私は先日登山に行きました。山頂から見えた景色はとても美しく……」などのようにでたらめを述べることができる。しかし絵の場合は、たとえ登山に行かずに山頂からの景観の絵を描いたとしても、それは嘘ではない。その絵に「登山の思い出」というタイトルないし「この絵は私が先日登山に行って書いたものです」という説明がついて初めて嘘をついたことになるのだ。言葉が嘘をつくのであり、絵がつくのではない。
では、葉蔵はなぜ嘘を嫌うのか。第一の手記の最後では、葉蔵の人間への不信感が表明されていた。
やはり、自分の幼少の頃の事でありましたが、父の属していた或る政党の有名人が、この町に演説に来て、自分は下男たちに連れられて劇場に聞きに行きました。・・・演説がすんで、聴衆は雪の夜道を三々五々かたまって家路に就き、クソミソに今夜の演説会の悪口を言っているのでした。中には、父と特に親しい人の声もまじっていました。・・・そうしてそのひとたちは、自分の家に立ち寄って客間に上り込み、今夜の演説会は大成功だったと、しんから嬉しそうな顔をして父に言っていました。
人間への不信感とは、正確には、人間の言葉への不信感である。なぜ嘘を嫌い、嘘をつきうる言葉を嫌うのか。それは嘘というものが、基本的には処世の術であり、生活の中の厳粛さを示すものであり、したがって葉蔵の本能に反するものであったからである。では道化はどうか。「自分だって、お道化によって、朝から晩まで人間をあざむいているのです」。しかし裏に悪意のある処世ではなく、純粋に人を楽しませるものとしての嘘もある。道化は元来その類のものであったが、ここでは道化すら、処世のための欺きにすぎないと理解されている。実のところこの理解のあり方を植え付けたのも、(手記の中では順番が前後しているとは言え、)竹一ではなかったか。陰鬱さが自身の本質であると誤解させ、道化は処世術に過ぎないと誤解させたのは竹一であった。「お化けの絵だよ」に始まる自画像制作はそれを直接表現したものである。
しかしだとするなら、竹一の「お化けの絵だよ」であれのちに予言とされた言葉であれ、やはりただの言葉である以上、疑われてしかるべきだったのではないか。なぜ竹一の言葉だけが疑われようのない真理として現れたのか。その理由は前述したとおり「ワザ。ワザ。」の威力、及び「全知全能の者」の予感による。総じて、葉蔵には竹一の言葉がしっくりきてしまったということである。付け加えれば、嘘をつくからといって言葉を嫌悪する態度は、それだけ言葉というものを実は重視していることの裏返しでもある。言葉が重みを持っているからこそ、騙されまいとするのである。だからこそ、信じられる誰かの言葉だけは、例外的に重要性を持って滲み入ってくるのである。
思ってもみなかった他人の物の見方、考え方に胸を打たれることはある。「お化けの絵」という解釈を聞いて、「おや?」と思ったとき、そしてその意味が徐々にわかってきて、(つまり自分なりにその解釈をさらに解釈しようとする過程で、)「画法」を獲得したとき、葉蔵にはたしかに、何か新しいものが開けてくるような感動があったに違いない。そういう感動は悪いものではない。少なくとも「お化けの絵」という言葉は、自己の正体をつかもうとした葉蔵の欲求に適合し、完成した自画像は葉蔵に深い充足感を与えたことであろう。
問題は、その感動にいつまでもしがみつき、自分というものの理解を固定してしまったことにある。自画像による自己理解は結局「陰鬱さ」という自己否定的な角度からなされたものであり、これが彼の後の不幸、「恥の多い生涯」の基礎付けとなったことは間違いない。「お化けの絵」という言葉を聞いた「その瞬間、自分の落ち行く道が決定せられたように、後年に到って、そんな気がしてなりません」。ツネ子に対して見せた「地金の無口で陰惨なところ」も、またシヅ子に自分の画才を信じさせたい思いで口から出た「漫画」という道も、「お化けの絵」に端を発したものである。
しかしそれでも、「お化けの絵」がもたらした地獄の先にあったものは、却って気楽な、喜劇的「癈人」だった。したがって「お化けの絵」は悲劇に繋がり、その悲劇は喜劇に繋がっているという形で、自画像にはそのような否定的な面と肯定的な面が混在する思い出が込められていると考えられる。すなわち葉蔵にとってあの自画像は、良くも悪くも自分のアイデンティティの根として今も変わらぬ重要性を持っているということである。
前に、「癈人」と化した葉蔵はあらゆる意味・規範が有名無実であることを体感した境地から、今や無意味化された言語において遊戯を行い、手記を書いたのだ、ということを述べた。であればその手記内における「お化けの絵」及び自画像のイメージもまた、結局は「お化けの絵」・「陰惨な自分の真の姿」という言語的構想によって成立していたものである以上、ほかの言葉同様今はもう無化されているものと考えてよい。自分の真の姿などというものは、意識的に捉えられるようなものではない。陰鬱な自分はただの言葉として雲散霧消し、葉蔵は本能に、本来の自己に立ち返っている。言葉を重要視していたからこその、あの言葉に騙されまいとする嫌悪感もまた解消され、葉蔵は「お前は偉い絵かきになる」という竹一の言葉を断ち切り、元来の卓越した文章表現力がいかんなく発揮されている。手記を書く葉蔵にとってもはや自分の内面など探究の対象ではない。それはもう既にそこにあるので、探しに行く必要がない。
葉蔵の芸術活動は絵に始まり、漫画を経由して、手記に到達している。子供向けの滑稽な漫画は、無意味な遊戯を好む葉蔵の本能の産物でもある。しかしまだ「お化けの絵」の影響下にあり、言葉による世間との闘争の下にあった当時の葉蔵としては、その明るい漫画もまた、自分の暗さを偽装する嘘の類であった。本物の絵描きへの執着・未練・劣等感もあっただろう。また葉蔵は「汚いはだかの絵など画き、それにたいていルバイヤットの詩句を挿入」することもしたという。少しずつ、絵と言葉とが分離していっている。これは経験によって得られた一つの成長であり、手記執筆への準備ともなったものであろう。「世間」において様々な他者の言葉に取り巻かれ、それに対抗するために自分の言葉を使う闘争の中で、少しずつ葉蔵には、むしろこれまで自己を規定してきたのは絵ではなく、言葉の方だったのではないかと予感されてくる。そして父の死によって言葉から解放されることによってこそ、ついに絵もまた不要となり、純粋に言葉だけで構成された(とはいえ写真は同封しているが)芸術としての手記を書くことができたのである。
そのような経緯をたどって書かれた手記は、一種の自画像であった。言語表現による自画像、すなわち自伝である。ここにあの自画像の肯定がある。しかしそれはある固定された自己表象をもたらすものではない。新しい自画像たる手記は、今の自分に連なる過去の不幸を語る。しかしその不幸は、「癈人」という最後に到達された境地によって、語られると同時に自ずから否定される。否定されながらも、やはりそれは紛れもなく自分の過去であり、「お化けの絵」に始まる「陰鬱さ」なのである。ここに自分の過去を語るということにおける、葉蔵の遊びがある。陰鬱さを確定しようとして描くのではない、陰鬱さを演出して書くのである。かつての自画像すらも内に取り込み無効化した上で、しかもその延長線上にあり、新しい作品としてアップデートされた新しい自画像、それが手記である。「新趣向のお道化と見なされ、大笑いの種にせられるかも知れぬという懸念」のあった古い自画像は、まさに新趣向のお道化として生まれ変わり、手記となった。
ところで、自画像としての手記を完成させるにあたって一役買っているのが、手記に添えられていたという三葉の写真である。一枚目は親戚と思われる女たちに囲まれて笑う幼少期の葉蔵、二葉目は学生服を着て椅子に座り微笑む葉蔵、三葉目は汚い部屋で火鉢に手をかざす、年頃のわからない葉蔵の写真である。これらの写真について、平野諒は「『人間失格』の構造と〈語り〉―「道化」表象の分析」(7)において以下のように指摘する。
一、二葉目の写真は、過去に撮られたものを、〈語り〉の現在にある葉蔵が、自分の手記の補強をするために都合のよいものを選んだものであると思われる。しかし三葉目の写真は、現在の状況を演出するために、その構図さえ考えてわざわざ撮らせたものなのである。
三葉目の写真は東北の温泉地に移ってからのものであるから、「テツに撮ってもらったものであると推測され」、だとすると「この無表情の男の写真でさえ、葉蔵の演出ということになる」。
一、二枚目の写真は、東京にいる間ずっと所持していたものか、それとも実家から取り寄せたものかは判然とはしないが、それはさしたる問題ではない。重要なのは三枚目の、わざわざテツに取らせた作為のある写真である。これもまた「手記の補強をするために都合のよい」演出材料として付加したものであるはずだが、ここでの葉蔵が「無表情」に写っていることにはどのような意図があるのか。それはまず「ただ、一さいは過ぎて行きます」の虚無感を顔に表現することである。だがこの虚無感というのは却って、規範から解放された「廢人」の笑いにつながっていたはずである。だとすれば三枚目の写真は一枚目と二枚目同様、いや、それらとはまた違った笑いの写真であってもよかったはずだが、実際は「何の表情も無い」。これはなぜか。
私の考えでは、あえて無表情の写真を加えたのは、その写真を如何様にも解釈できるようにするためである。前に述べたが、手記の結末の印象は読み手の解釈によって「破滅」とも「安堵」とも変わりうる。葉蔵の無表情の中に何を読み取ることができるかは読者次第である。絵と同じく写真もそれ自体は知覚的イメージであり、意味的には元来ニュートラルなものである。それがどんな写真であるのかは、見るものが付け加える言葉によるのである。そして葉蔵が東京での経験を通り抜け、父の死に至り学んだことは、そのような言葉の付加と意味の固定こそが自分を苦しめていたものであるということであった。だからこそ葉蔵はどうにでも解釈することのできる無表情という表情を選び、手記に添加する視覚的自画像として用いたのである。そしてここにもっぱらマイナスの意味を読み込んだのが、「はしがき」の書き手である「私」であった。
「はしがき」においてこれらの写真を読者に紹介する「私」の考察は極めて辛辣である。彼は「美醜についての訓練を経て来たひと」の意見を代弁するという形で、一枚目の写真の葉蔵の笑顔を「顔に醜い皺を寄せ」た「猿の笑顔」と評する。二枚目の写真の葉蔵の微笑は、「かなり巧み」ではあるものの「血の重さ」、「生命の渋さ」と言えるような「充実感」がなく、「一から十まで造り物の感じ」で、「どこか怪談じみた気味悪いもの」を感じると言う。三枚目の火鉢に当たる葉蔵については、「最も奇怪」で、「表情がないばかりか、印象さえない」、見るのをやめるだけで忘れ、再び見て思い出してもなんの喜びもない、「ただもう不愉快、イライラして、つい眼をそむけたくなる」、そして「どこということなく、見る者をして、ぞっとさせ、いやな気持にさせる」。
散々な言い様である。ところでこの「はしがき」が「私」によって書かれたのが葉蔵の手記を読んだ後のことであるのは間違いない。手記をマダムから受け取った「私」がその由来を語ったのが「あとがき」であり、それに「はしがき」を付けて出版したのが『人間失格』という小説の全体である(という作品内設定になっている)。だとすれば、「はしがき」における「私」の葉蔵に対する記述は、「私」が手記を読んで受けた印象に影響されて書かれたものであると考えられる。つまり、かつて竹一の言葉がゴッホの自画像を「お化けの絵」に見せてしまったのと同様にして、葉蔵の言葉が「私」に影響して写真を嫌悪すべきものに見せたということである。ここで葉蔵はかつての竹一と同じ役割を果たしている。効果を発揮したのは葉蔵が演じた暗さである。「私」は葉蔵の操る言葉に巻き込まれ、手記の結末に破滅のみを読み取った。その理由には「私」が、船橋に友人を訪ねたついでに「何か新鮮な海産物でも仕入れて私の家の者たちに食わせてやろうと思」うような良き家庭人であったこともあるだろう。世間的ないわゆる「健全さ」を持ち合わせている一人の父、そしてまた「美醜に就いての訓練を経て来たひと」の一人としての自負を持ち、その個性を誇っている風である「私」にとっては、「ひどく汚い部屋」で無表情に佇む男の写真は、その経緯を読めば想像を絶した、無のようなものに違いない。「私」はプロの小説家である。いわゆる本物である彼からすれば手記はまさに、東郷克美が「『人間失格』の渇仰」(8)で述べたように「葉蔵における芸術への開眼と芸術家失格の物語」である。
しかし、「はしがき」における葉蔵に対しての印象記述が、どの写真についても最終的には「不思議な」という、ある程度の奥行きのある言葉に収束していること、また彼が「あとがき」においては、マダムの「私たちの知っている葉ちゃんは・・・神さまみたいないい子でした」という言葉で終わらせることで、「はしがき」における不快感の表現をある程度中和しようと試みていることは注目すべきである。読後感に直結する終末部にこの言葉を置いたこともまた「私」が手記に対し感じた何らかのものを表現している。葉蔵の演出する暗さ・破滅を嫌悪しつつも、それだけでは終わらせない何かがあったからこそ、「私」は手記を「現代の人たちが読んでも、かなりの興味を持つに違いない」と感じたのだった。では手記にそのような複雑さを持たせる効果を果たしたものは何だったのか。私はそれを「倫理」と呼びたい。
再度確認すると、かつての葉蔵が苦しんだその原因は、父を代表とする人々が言葉により作り出した真理にとらわれていたこと、またある特定の観念に基づいて一義的に自分を理解したことにあった。竹一に啓発されて書かれた自画像における陰鬱さはそのことの表現であった。そして言葉が人をとらえるというのは、言葉というものが根底的に持っているある力、感動させあるいは傷つける力に起因しているのである。それは要するに、「……ということにする」力である。
ここで、私の言う「倫理」を規定しておきたい。この倫理は言葉の持つ「……ということにする」力の否定であり、言い換えれば確信的暴力性の否定である。我々が言葉で何かを語るとき、それは何らかの「事実」や「真実」を言い当てているのではなく、ただ「そういうことにしようとしている」に過ぎない。現に我々は思い違いをするではないか。「……だと思ったが、違った」ということは往々にしてある。そして思い違いというものは全て後から発覚するものである以上、今まさに思考していることが当たっているのか外れているのか、その区別は今付けられるものではない。だから、正しいのか間違っているのかという判断は、誰にも本来できないはずである。この懐疑を踏み倒して「そうかもしれない」を越えて「そうだ!」と叫ぶとき、その叫びは暴力性を帯びてくる。確信は反対者の排除を求める。なぜなら、真理とはいつでも、どこでも、誰にでも通じるものでなければならないからである。真理は説得を、そして支配を求め、強制に発展する。その対象が自分自身になれば、それは強迫観念になる。もちろん自分についての確信が深い感動をもたらすこともあるし、それで突き進むことも重要ではあろうが、むやみに固執すれば(適切に軌道修正する用意がなければ)苦しみにつながることもある。葉蔵の場合がそうであった。
しかし言葉というものは、そもそも確信的にしか使えないものなのではないか。現に私もここで、「確信は暴力である」という規定をかなり確信的に用いてしまっているではないか。それでも私は、そんな自分の言葉をさらに自分で疑っていると言いたいのであるが、それもまた断言になる。つまりどういうことなのか。私が思うに、この倫理は客観的なものではなく、主観的なものなのである。つまりある行為が倫理的であり別の行為が非倫理的であるという風に外から見て判断するのではなく、むしろそのような倫理/非倫理の断定を極力避けようとする、内側の心理においての倫理なのである。根拠を内側に持つ以上、この倫理は外から見ても絶対にわからない、他者にとってみれば存在しない、私だけの倫理である。この倫理は表立たず、他者に直接影響しない。むしろ他者に影響する事を拒むようなものである。他者に影響するのは言葉の力であるが、この倫理は力を否定するからである。力を否定することは、支配と強制を否定することである。だから倫理は、真理の否定である。真理とは強固に確信された信念に他ならない。この倫理は、真理ではあり得ないのだ。これは他者を説得しない。
だとすれば、こんな倫理に何の意味があるのか。ただの自己満足ではないか。しかし他者に影響する倫理というのは、結局のところ、判断を押し付けるという意味での暴力性を避けられないのである。暴力を否定したければ、外から見て何かを暴力であると断言するその力をも否定せねばなるまい。だが私は今「暴力を規定する力もまた暴力である」と断言してしまっている。これは初めから矛盾的な倫理なのである。この倫理は自分で何かを主張しながら、同時にそれを否定することを要求しているからである。では矛盾しているから、このような倫理は成立しないのであろうか。私はむしろ矛盾しているからこそこれは倫理なのだと言いたい。矛盾とは迷いであり、迷いは確信の否定だからである。
その上で、この倫理だけを携えて世に立つことができるかといえば、それは不可能である。人と人との間に矛盾的なものを挟んでは何も議論できないし、決められない。断定せずして理屈は作れず、理屈なしで生活はできない。懐疑の上に人生は成り立たない。やはり良いことは良く、悪いことは悪いのだと言わなければならない。しかしいわゆる世間的な通念にのみしたがって、ある物事についての扱いや評価を一義的に、さっさと決定してそこに安住するだけなら、それは暴力たりうるだろう。中島義道は『悪について』において、通念に安心して正義に酔う人はカントの言う「精神的自動機械」であり、全く倫理的ではないと主張する。彼の言葉を借りれば、
彼らはある時代にはゼンマイAを巻いておいたがゆえに、火炙りにされもだえ苦しむ「魔女」に讃美歌を唱えながら薪を放り込み、またある時代には、ゼンマイBを巻いておいたがゆえに、ヒトラーの演説に涙を流して酔いしれ、またある時代には、ゼンマイCを巻いておいたがゆえに、女性差別やセクハラに目をひんむいて抗議する。もしかしたら、自分を含む大多数の者はまちがっているのかもしれないという思いは、頭の片隅をよぎることすらなく、熱っぽいまわりの雰囲気に同調したまま絶対的確信をもって突き進むのである。
ただあるときに、そのような規定と生活の基盤を確信することを自明視できなくなる体験があるのではないかと思う。そのような体験は文学作品を読むことの中にもあるだろう。そして『人間失格』にも、そういった時間をもたらす力があるのだと私は主張したい。
そのような次第でまた『人間失格』の考察に戻るが、さきほど私は、私の言う倫理は主観的なものであり、言動や行動を外から見てもそれがあるかどうかは絶対にわからないのだと書いたのだった。だとすれば手記の記述から葉蔵の心理としてそのようなものがあったかどうかというのもわからないことになり、これについて論じるのも牽強付会ということになりかねない。しかし私はここまで過去の葉蔵や手記を書いている葉蔵に移入して、その心境・人格を解釈しながら論じてきたのである。だとすれば、それは満更葉蔵を外から論じているとも言えまい。だから私は多少の無理を押して、葉蔵の主観を推し量ってここからも論じることとする。
『人間失格』という作品を読んで何らかの感想を抱くとすれば、そこには葉蔵という人物に対する何らかの評価が含まれざるを得ないだろう。手記は葉蔵の人生だからであり、また「はしがき」と「あとがき」を見ての通り、この小説は葉蔵への評価に始まりまた終わっているからである。そこで葉蔵を持ち上げることもできるし、軽蔑することもできる。だが重要なのはそこで用いられる言葉を、用いる人間がどこまで信じているかというところである。というのは、元来彼はもちあげられるべき存在でも軽蔑されるべき存在でもなく、その中間でもないからである。「狂人」「加害者」というも「いい子」「被害者」というもすべて解釈であり、「そういうことにしようとしている」のであって、「そうである」わけではない。しかし「そうである」と心の底から信じ込み、解釈を固定する場合、それは暴力になる。それはかつて葉蔵が自画像を描くことで自分に対して行った暴力であり、それ以前に家庭において知らず知らず受けていた抑圧なのである。自画像が竹一の言葉に対する感動から生じたものだったとしても、一義的であるという点でそれはやはり暴力なのである。解釈を確定・固定し、それ以外の捉え方を拒み、抑圧し、否定すること、確信は常に反対者の排除を求めている。
倫理とは暴力の否定である。それはつまり確信の否定であり、自分の主張を自分自身で否定することである。そしてこれこそ、古い自画像と新しい自画像の違いなのである。かつて「お化けの絵」として描かれたものは確信的・一義的であったが、手記は自己否定的・多義的である。だから新しい自画像は、倫理的だということになる。
斎藤理生は「大庭葉蔵の饒舌――『人間失格』論」(10)において、葉蔵が手記執筆にあたり自己記述に一貫性を持たせようとしていること、しかしそのための饒舌な語りが裏目に出て、一貫性を揺らがせてしまう効果を持っていることを指摘している。葉蔵は「いつも」や「れいの」、「つまり」といった言葉や、あえて後の展開や心情を予告する「のちに」を多用することで、「『恥の多い生涯』という枠にはめこむように過去を語ろうとする」。しかしその一貫性は、例えば以下のような部分で揺らいでしまっていると言う。
心では、相変らず、人間の自信と暴力とを怪しみ、恐れ、悩みながら、うわべだけは、少しずつ、他人と真顔の挨拶、いや、ちがう、自分はやはり敗北のお道化の苦しい笑いを伴わずには、挨拶できないたちなのですが、とにかく、無我夢中のへどもどの挨拶でも、どうやら出来るくらいの「伎倆」を、れいの運動で走り廻ったおかげ? または、女の? または、酒? けれども、おもに金銭の不自由のおかげで修得しかけていたのです。
ここでの「いや、ちがう」、「とにかく」、「?」といった打ち消し・言いかえの表現は「敗北のお道化」というキーワードでごまかそうとしているその奥にある事実、すなわち「東京に出て多少なりとも成長したこと」を透かして見せていると言うのである。また手紙を残してヒラメの家を抜け出した際の語りにおいては、しどろもどろの記述から結び付けられた「れいの」「奉仕」というキーワードが、「かえって文章全体をいかがわしくしまっている」と言う。
その間に自分が、少しでも遠くへ逃げのびていたいという探偵小説的な策略から、そんな置手紙を書いた、というよりは、いや、そんな気持も幽かすかにあったに違いないのですが、それよりも、やはり自分は、いきなりヒラメにショックを与え、彼を混乱当惑させてしまうのが、おそろしかったばかりに、とでも言ったほうが、いくらか正確かも知れません。どうせ、ばれるにきまっているのに、そのとおりに言うのが、おそろしくて、必ず何かしら飾りをつけるのが、自分の哀しい性癖の一つで、・・・後で自分に不利益になるという事がわかっていても、れいの自分の「必死の奉仕」それはたといゆがめられ微弱で、馬鹿らしいものであろうと、その奉仕の気持から、つい一言の飾りつけをしてしまうという場合が多かったような気もするのですが・・・
一貫性を保とうとする記述の必死さが、逆に「探偵小説的な策略」をめぐらす逞しい胸の内を詮索させる効果を持つ。これらの、一貫性とその揺らぎを斎藤は手記における「齟齬」と呼び、「注意しておきたいのは、このような齟齬が、言いよどみや訂正まで逃さずに書きとめる、手記の饒舌な筆致のために浮かびあがっていることだ」と述べる。
また斎藤によれば、このような齟齬は手記の滑稽さの認識へと読者を導き、そこから目につくようになるのが手記の「笑い」の要素であると述べている。それは例えばツネ子との心中の後、「めそめそ泣いてばかり」いたと書いた直後に「『生きくれよ』というへんな言葉ではじまる短歌ばかり、五十」と下宿の娘が贈った短歌を貶す記述や、ヒラメが階下の食卓へ葉蔵を招いた場面、「ヒラメならぬマグロの刺身」などという駄洒落に現れていると言う。
斎藤はこれらの齟齬を、葉蔵の饒舌さが招いて「しまった」ものという形で読んでいる。しかし私が思うに、これは手記の構成上のミスや甘さというよりは、かなり意図的に行われた演出である。手記の中には暗さ一辺倒の「恥の多い生涯」を一貫して描こうとする方向と、それを自ら打ち消し揺らがせる方向がともに意図されているのである。何となればこの手記は、前に述べたとおり新しい道化であり、陰鬱に描きながらも同時にある固まった自己表象には至らせないようにする新しい自画像だからである。そしてそれは同時に、私の言う意味での倫理的なものである。自由な解釈が開かれているのである。どこまでも陰鬱に書こうとしながら、同時にそれを疑わせるような書き方、落ち込むかと思えば唐突に笑わせてくるこの不安定さにこそ工夫がある。
笑いということに付言すれば、もともと葉蔵の道化は父の作りだす家の暗い規範に対する、明るい世界を求めての抵抗なのであった。末子であった葉蔵は父との圧倒的権力差を覆すことはできず、それが自身に対する原罪とまで言えるような否定感を作り出す大元になったのである。しかし権力闘争的な解釈を抜きにしても、そもそも明るい世界を求め人を笑わせようとする本能からの行為は、そのまま倫理的であると言ってもよいのではないか。笑いは怒りの対極にあり、怒りは確信的な暴力なのであるから。笑いは人を和ませ、許させるのである。又吉直樹はこう述べる(11)。
3つ上と4つ上に姉がいるんですけど、中学生のころに喧嘩して、この後一生口利かんでもええわと思って悪口わーっしゃべっている時に、テレビでダチョウ倶楽部さんがおでんのくだり(熱いおでんを食べるなどの難題を、3人が譲り合うギャグ)をやっていて……そのまま笑い出してしまった。・・・絶対笑ったらあかんときでも笑いが勝つんですよ。読むと人間不信になると聞いてた『人間失格』も、ちょっとした言葉にひっかかって、これは笑ってええ、おもろい小説ちゃうか!と。
竹一の啓発による自画像を経て東京に出てから、結局笑いの力は怒りの力に敗れ、徐々に葉蔵も言葉による安定を求める彷徨に陥ることになってしまう。滑稽な漫画も嫌々描くだけの悲劇にしかならず、ヨシ子の姦通と薬物、「罪」に押し潰されることとなった。だが手記において、自分の本能に回帰するにあたり笑いの力もまた自画像の要素として復活し、取り入れられているのである。
また暗さの一貫性についてだけでなく、何か具体的な考えを主張する際にも同様の揺らぎは含まれている。手記の中には世間およびそこで暮らす「健全な」人間への批判であると受け止められるような、箴言風の断片が多数含まれている。前に述べた「世間とは個人である」という思想もそうであるし、父と親しかった人々がついた嘘に対する嫌悪感もそうである。
互いにあざむき合って、しかもいずれも不思議に何の傷もつかず、あざむき合っている事にさえ気がついていないみたいな、実にあざやかな、それこそ清く明るくほがらかな不信の例が、人間の生活に充満しているように思われます。
またマルクス経済学に対して、
自分には、それはわかり切っている事のように思われました。それは、そうに違いないだろうけれども、人間の心には、もっとわけのわからない、おそろしいものがある。慾、と言っても、言いたりない、ヴァニティ、と言っても、言いたりない、色と慾、とこう二つ並べても、言いたりない、何だか自分にもわからぬが、人間の世の底に、経済だけでない、へんに怪談じみたものがあるような気がして、その怪談におびえ切っている自分には、所謂唯物論を、水の低きに流れるように自然に肯定しながらも、しかし、それに依って、人間に対する恐怖から解放せられ、青葉に向って眼をひらき、希望のよろこびを感ずるなどという事は出来ないのでした。
また堀木に「世渡りの才能」を指摘されるにあたり、
ああ、人間は、お互い何も相手をわからない、まるっきり間違って見ていながら、無二の親友のつもりでいて、一生、それに気附かず、相手が死ねば、泣いて弔詞なんかを読んでいるのではないでしょうか。
このような例は随所にみられる。「世間」や「人間」に自身を対置して批判的に観察する態度は、実際かつての葉蔵が体験し考えたことに基づいているはずであるが、重要なことは手記を書いている今の葉蔵が、これらかつての思考をどこまで信じているのかということである。もし彼がこれらをいまだに心の底から信じ込み、自分の正しさと相手のいかがわしさを対置しているのだとすれば、それは中畑邦夫(1)が言うように世間に対する告発であり、被害者目線からの証言であろう。さらにそういう解釈をするのなら、手記が読者に対して与える感覚は闘争的正義の感覚であり、私が先ほど述べた言い方をすれば、暴力である。安藤宏は『太宰治 弱さを演じるということ』(12)にてこう述べる。
「手記」の語り手は徹底して「わからない」と告白し続けることによって、逆に世間を「わかって」いると信じて疑わぬ「大人」たちの偽善を照らし出していく。生活能力に欠けるという事実は、ここでは逆に純粋無垢であることの証となり、周囲のエゴイズムを映し出す鏡へと反転していくのである。自分に自信が持てず、その反動として「大人」の世界への反発を覚える読み手にとって、これはまたなんと便利な自己弁護、自己救済の書であることだろう。
手記を読んで「世間を『わかって』いると信じて疑わぬ『大人』」を批判するとすれば、それは逆に自己の「純粋無垢」を「信じて疑わぬ」ことになるのである。葉蔵と世間とをどこまでも対置させて読むとすれば、結局彼は闘いの続きとして、今度こそ「自分が正しかったのだ」と主張するために、わざわざ手記を書いたことになるだろう。
しかし手記の言葉は、「恥の多い」男の言葉として語られているのである。つまり葉蔵は、一貫して自分を否定的に描きながら、同時にこれら批判の言葉を綴っている。ここに先ほど述べた、何かを主張しながら同時にそれを打ち消すということの裏、すなわちそれが絶対ではないとしても、思ったことは思ったこととして主張しようとする積極的な態度を見ることができる。ひたすら疑い、言葉にとらわれないようにすることは、決して何も言わないということではない。思ったことは言ってよいのである。ただその言葉が、同時に自分自身によって疑われ、他者に対して開かれているということが手記の特徴なのである。真理が存在しないということもまた真理ではあり得ず、ただそのつど見えたことが言葉として残る。
東京に出て都会の遊びを覚えた葉蔵は、淫売婦について以下のように感じたという。
自分には、淫売婦というものが、人間でも、女性でもない、白痴か狂人のように見え、そのふところの中で、自分はかえって全く安心して、ぐっすり眠る事が出来ました。みんな、哀しいくらい、実にみじんも慾というものが無いのでした。そうして、自分に、同類の親和感とでもいったようなものを覚えるのか、自分は、いつも、その淫売婦たちから、窮屈でない程度の自然の好意を示されました。何の打算も無い好意、押し売りでは無い好意、二度と来ないかも知れぬひとへの好意、自分には、その白痴か狂人の淫売婦たちに、マリヤの円光を現実に見た夜もあったのです。
これについて村瀬学はこう述べている(6)。
主人公が言うように、彼女たちが皆「みじんも慾がなく」「打算も無く」「押し売りも無く」つねに「自然の好意」を示してくれていたから主人公が「まったく安心」できていたのかどうか考えてみる。おそらく現実的にはそうではなかっただろう。彼女らは「商売」としてそうせざるを得なかっただけであり、欲がなく、押売りがなく……というのは、あくまでそういう「仕事」のスタイルにすぎなかったはずである。主人公もおそらくその事をよく知っていた。
私としては、当時の葉蔵はそんなことは知らなかったのではないかと考える。生殖を目的としない快楽だけの性行為は、東京でのほかの遊びである酒や煙草と同様、無意味な遊戯として気に入られ、淫売婦たちの接客態度はその遊びへの積極性として葉蔵には感じられたのではないか。「慾というものが無い」態度とは、生活の厳粛さの無い態度を意味する。「同類の親和感」を感じていたのは葉蔵の方だったのである。淫売婦から「同類の親和感」を覚えられたとしても、それを好意として受け取ることができるくらいに、葉蔵は「同類」なのである。葉蔵は淫売婦について語りつつ、同時に自分について語っている。無意味な遊戯をもたらす「白痴か狂人」という言い草は、淫売婦にも、葉蔵自身にも向けられている。
村瀬の言うように、ここでは「淫売婦を『買う』者からの幸せが一方的に綴られているだけで、『買われる』側の淫売婦の不幸が一つも綴られていない」。これについて、読者は葉蔵を非難することが可能だろう。葉蔵は、無意味な遊戯をもたらす道具としての「白痴か狂人」として、淫売婦らを消費したことになる。しかし「白痴か狂人」なのは葉蔵も同じなのだ。そしてむしろ淫売婦たちは正気であり、葉蔵だけが狂人(または悪人)であったと考える場合に、淫売婦への態度を非難する読みが可能となる。葉蔵は淫売婦を「白痴か狂人」と呼ぶことを通して、自分がそう呼ばれ得る可能性を残しているのである。
ここにもまた手記を通して共通する自己否定的なものが流れている。だからこそ、かつての自分が淫売婦に救いを見たこと、「そのように見えた」(「そうである」ではなく)ことを、書いてはならない理由も無いのである。読者は葉蔵の言葉に共感してもよく、反発して批判してもよい。葉蔵の言葉は一義的に物事を確定しようとするものではなく、内から否定の統制が効いているものである。
細谷博は「『人間失格』の〈人間肯定〉―語りのサービスと笑い―」(13)において、葉蔵の鋭い批判の言葉に移入して読むことも、世間の側に立って葉蔵を一蹴することも、作品の面白さを味わうには十分ではないと述べている。
では、一体どう読んだらよいのか。本文の動きにそって、そのはばや振動をそのものとして味わい受け止めるような読み方はここで可能だろうか。
それは言ってみれば、語り手の言うところを理解しつつその異様さを見すえ、皮肉な人間批判に共感や反撥を覚えながらも、同時に何ほどかいたたまれなさも感じてひそかに心揺れるような、固定的ではない動きをもった読みではないかと思われるのである。
・・・
それは、固定的にはとらえがたい、すなわち、まとまった読解や感想といったかたちで表現されることの難しい、いわば生きられた読みである。
否定的な力あってこそ、共感・反発一辺倒ではない複雑な感受が可能なのである。細谷は揺らぎの中で「生きて」読まれる読みを肯定する。
人は往々にして、自らの〈読み〉のゆたかさに気づくこともなく、それを刻々と体験し、すなわち〈生きて〉いる。・・・こうした考え方に立つと、作品と読解の各々はより微妙で陰翳にとんだ、しかも把捉しがたいものとなっていくだろう。要は自己の〈読み〉をかけがえのない体験として、事後の見やすい読解に対してつねにあらためて見いだすことであろう。
これに付言するとすれば、特にこの作品において複雑な感情体験を得ることができるのは、自己否定しながら肯定し、また否定しては肯定する複合的態度、意味が開かれていること、つまり倫理性の賜物である。もちろん、その上である特定の解釈や立場にたどり着くのなら、それはそれで構わない。錯綜した感情や論理を通り抜けた後に出される結論ならば、なんにせよそれが一義的暴力的規定ということはないだろうからである。「私」も手記を読んでいる最中には、このような移入や反発の織り交ざった体験を通り抜けていたに違いない。だからこそ、最終的には否定的見解にたどり着いたにもかかわらず、彼は手記に重要性を認め、葉蔵についての印象は「不思議な」という揺らぎとして記述されたのである。
手記はその倫理性において価値がある。最後に、この倫理をどう利用すべきなのか、私の意見を述べる。倫理は対話へ向けられていなければならず、それは読者の仕事である。葉蔵の態度に気になる点があるとすれば、それはマダムに送った手記に住所を書かなかったことであろう。これはコミュニケーションを拒否する態度である。すなわち堀木との例の対義語当てゲームに見られるように、対話などしたところで結局かみ合わず、何かが明らかになることは全くないのだ、というニヒリズムが感じられる。しかしこのことは、決して手記の魅力を減じるものではないと私は思う。手記の倫理性はまさにその対話を成立させる前提となる確信の否定を読者にもたらそうとするからである。対話のためにはまず、相手の話を聞く態度が自分になければならない。そのための用意をするための感情を手記はもたらしてくれるのであり、それは対話の前段階である、個人的な思いとして体験されるからである。
もともと手記は葉蔵自身のために書かれたものであり、マダムにそれを送ったのは、ただ自分を相手に道化を演じるには飽き足らなかったからである、ということを前に書いた。昔描いた自画像も自分のためのものであった。自分以外には、その魅力をわかってくれそうな竹一だけに見せたのだった。手記も同じで、マダムに送ったのは消去法で、彼女だけがその魅力をわかってくれそうだったからであるとも私は考えた。しかし手記が何らかの力を持つとすれば、それはむしろマダム以外の人に対しても影響を及ぼせるものでなければならなかったはずであろう。その点どうなのかについては、「私」が一例となった。葉蔵を散々くさしながらもその価値を彼が否定しなかったことによって、手記は出版されることとなり、『人間失格』は完成した。読者である我々は複雑な感情を抱きながらこれを読む。そして「あとがき」における最後の言葉、マダムの「神様みたいないい子でした」という台詞を読むことで、葉蔵が単なるろくでなしではなかったことを得心し、また手記を読み直すことになるのだと思う。この台詞を最後に置くことで「私」は自分の倫理を表現したのである。
どんな思いでこれを読んでもよいはずだが、感情は最終的には、前向きなところに落ち着くべきだと私は思う。「ただ、一切は過ぎて行きます」といっても、葉蔵は手記を完成させているのだから、実際には、一さいはただ過ぎて行くわけではなかったのだ。それは真理ではない。あくまで「真理らしく思われた」ものなのである。葉蔵において、真理と倫理は、遊戯への本能の中で結びついている。一さいが過ぎ行く中にそのつどの真理はあっても、それは断定とならない。だから絶望もしない。生きていくだけである。虚無に完全に立ち止まることは、生きている限りできない。
それにしても私の主張では、真理というのは有名無実で結局信仰の問題なのであるし、何にどう反発しようが、同意しようが、結論が勘違いではないことは証明できないのではなかったか。だから葉蔵はマダムからの返事を求めなかったのではないのか。であればこの作品から、どうやって対話に移っていけばよいのか。これについては、我々は葉蔵でもなければ「廢人」でもないのだ、ということを強く言っておかねばならない。手記は葉蔵の自画像であって、我々のではないのだ。「廢人」とは人間のルールを廃したもののことだと書いたが、その葉蔵も「人間の世界」で、他者とぶつかり葛藤してようやくそうなったのである。我々は性急に葉蔵と自分を同一視してはならず、虚無感に浸るだけで満足するようなこともあってはならない。散々悩んだ末に虚無に行き着くのと、悩みもせずに初めから対話を放棄するのとでは事が違うのだ。後者を行うものは一義的規定を逆から行っているだけである。そうではなく、この作品は対話のための揺らぐ倫理を感じ取り、対話に向けて開かれてこそ意味があるのだと思われる。葉蔵のことはそっとしておこう。重要なのは我々が「世間」において、これをどう積極的に利用するか、ということである。
(1)『国士館哲学』(20)国士館大学哲学界、2016年 (2) 太宰治『人間失格』を読み直す』第四章、水声社、2009年 (3) 青土社、1992年、54頁 (4)『言語文化論叢』(4)京都橘大学文学部野村研究室、2010年 (5)『フェリス女学院大学日文大学院紀要』(21)、2014年 (6)『「人間失格」の発見:倫理と論理のはざまから』大和書房、1988年、62-63頁 (7)『福岡教育大学国語科研究論集』(59)福岡教育大学国語国文学会、2018年 (8)『太宰治:作品論』双文社出版、1974年 (9) 岩波新書、2005年、138頁。なおこの本全体の文脈における倫理(=道徳)はカント的なものであり、私の言う倫理とは少しずれるが、粗暴な確信を批判する点に強く共感を覚えるので、強いて引用した。 (10)『太宰治の小説の〈笑い〉』第六章、双文社出版、2013年 (11)「Special Talk 又吉直樹 ピース又吉 いつも本に助けられてきた。『人間失格』も笑って読もう!」『日経ビジネスアソシエ』(3)日経BP社、2012年 (12) ちくま新書、2002年、25頁 (13)『凡常の発見:漱石・谷崎・太宰』明治書院、1996年